岩槻城 [城跡]
もう数日前のことですがお昼ご飯を食べすぎたので散歩がてら地元の城跡訪問。
今は公園になっているのですが小さい頃はただの公園という認識、あまりお城があったとかは意識しませんでした、花見したりする公園。
別名である白鶴城とあるが江戸城を建てたといわれている太田道灌が築城したとされている、が近年は別の説も出てきておりはっきりしないところが歴史の面白味でもあるのかもしれない。
大きな空堀の跡が残っていてそこは歩くことが可能である。
恥ずかしながら今回初めて歩いた気がする。
ここに堀障子のあったとされている、これは先日訪問した山中城にあるものと同類でこれが北条氏の城の特徴の一つと言われているらしい。
城の施設として残されているのは少ないがどこかの門であったとされている、この門は小さいころに見た記憶があるが当然のことだがなんだか理解はしていなかったはず。
こちらもどこかの門、一時民間に払い下げられていたが寄贈されたらしい。
10分ほど町の中心部に向かって歩いていくと民家のブロック塀に飲み込まれるように石碑が立っていた。
豊臣が小田原征伐を成し遂げた後に城主となった高力清長が眠る浄安寺(先ほどの石碑からさらに10分ほど町の中心部)の門も岩槻城の門であったとされているらしい。
岩槻駅にほど近いところにある愛宕神社が鎮座するのは当時の岩槻城の大土塁であるといわれている。
この大土塁は8キロ以上にも及び現在確認されている城では最大級の水堀を持っていたとされている。
なんだか改めて見てみると面白ですね、「とされている」っていうのがいろいろ想像力を沸かせてくれますね、さてしばらくは勢いで近くの城跡訪問してみたいと思います。
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今は公園になっているのですが小さい頃はただの公園という認識、あまりお城があったとかは意識しませんでした、花見したりする公園。
別名である白鶴城とあるが江戸城を建てたといわれている太田道灌が築城したとされている、が近年は別の説も出てきておりはっきりしないところが歴史の面白味でもあるのかもしれない。
大きな空堀の跡が残っていてそこは歩くことが可能である。
恥ずかしながら今回初めて歩いた気がする。
ここに堀障子のあったとされている、これは先日訪問した山中城にあるものと同類でこれが北条氏の城の特徴の一つと言われているらしい。
城の施設として残されているのは少ないがどこかの門であったとされている、この門は小さいころに見た記憶があるが当然のことだがなんだか理解はしていなかったはず。
こちらもどこかの門、一時民間に払い下げられていたが寄贈されたらしい。
10分ほど町の中心部に向かって歩いていくと民家のブロック塀に飲み込まれるように石碑が立っていた。
豊臣が小田原征伐を成し遂げた後に城主となった高力清長が眠る浄安寺(先ほどの石碑からさらに10分ほど町の中心部)の門も岩槻城の門であったとされているらしい。
岩槻駅にほど近いところにある愛宕神社が鎮座するのは当時の岩槻城の大土塁であるといわれている。
この大土塁は8キロ以上にも及び現在確認されている城では最大級の水堀を持っていたとされている。
なんだか改めて見てみると面白ですね、「とされている」っていうのがいろいろ想像力を沸かせてくれますね、さてしばらくは勢いで近くの城跡訪問してみたいと思います。
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タグ:岩槻城
2020-01-06 18:56
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